きんこんのシネマ放談

映画をこよなく愛するきんこんが鑑賞した映画をズラズラっと紹介していく映画ブログ

ジョーカー

f:id:shimatte60:20191009171229j:plain

バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。これまでジャック・ニコルソンヒース・レジャー、ジャレット・レトが演じてきたジョーカーを、「ザ・マスター」のホアキン・フェニックスが新たに演じ、名優ロバート・デ・ニーロが共演。「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。第79回ベネチア国際映画祭コンペティション部門に出品され、DCコミックスの映画化作品としては史上初めて、最高賞の金獅子賞を受賞した。
(映画.comより)

う~ん、今回は難しい…。
とにかくヘビーなんですよ、見終わってからの陰鬱たる気分ときたら、『ブラック・スワン』(2011)以来かな。
更に言えばラジオでこの映画を解説するのに頭悩ませる。金曜夜7時や火曜日の昼過ぎにはあまりに重過ぎて。(注fmいずも『しまねシネマクラブリボーン』本放送毎週金曜19:00~20:00 再放送毎週火曜14:00~15:00放送中)
記憶喪失の総理大臣やヤクザの世直し映画では感じなかったプレッシャーがあるわけですよ(笑)
でもね~、この映画は価千金!
是非多くの人に見て頂きたいと思います。

まず、ジョーカーとは、『バットマン』シリーズに登場するヴィランである。
この程度の知識を入れておけば十分です。
アメコミに興味ないという人でも十分理解は出来る内容だし、むしろそういう人こそ見てほしい。

というのが内容自体がアメコミ云々は全く関係ないんですよ。
どの様にして悪のカリスマ・ジョーカーは生まれるのか?が主体的なストーリーではありますが、むしろそれに至るまでがあまりに苛酷過ぎて言葉を失います。
まず題材として浮かび上がってくるのが貧困やマイノリティーへの排除や差別等。

コメディアンを夢見ながらもピエロの大道芸人として街角に立つアーサー。
まず冒頭のシーンから辛い。
子供達に馬鹿にされ、看板を取り上げられた挙げ句殴られ蹴られとリンチに遭う。
家に帰れば病気の母親の介護に追われ、休まる暇もない。
バスに乗り、前の座席の子供をあやせば母親から侮蔑の目を向けられる。
とある仕事の失態から解雇を言い渡され。

どうですか、この負の連鎖…。
更に彼は何の前触れもなく急に笑い出すという奇病にも冒され…。
そんな彼の唯一の拠り所が同じアパートに住む隣人である恋人…なんだけどこの恋人もまたねぇ…後は直接見て頂きますね。

先日、太宰治の伝記映画を扱ったじゃないですか?
その後、『人間失格』を読んでみたんですが、一人の男の転落人生を描いているんですね。
で、あの『人間失格』でも幼少の頃に道化を演じ、自分を殺してきたという記述があるのですが、ジョーカーもまたそうなんですよ。
コメディアンになる為、ピエロとして生計を立てる姿が『人間失格』のそれとダブってくるんですけど、笑いと悲しみが常に表裏一体であり、喜劇は悲劇となり、悲劇は喜劇を化す。
実に皮肉だけど、それをまざまざと写し出している様でした。

さて、この作品R15指定でありアメリカでは公開初日に警察が劇場をマークするなんて動きもあり、更に劇場内で殺戮のシーンが出る度に笑い出し、恐怖を感じた観客が上映中に退出するなんて騒ぎもありました。
それほど過激な作品でもあるのですが、同時に懸念されてるのは思想への影響なんですよね。
それもそのハズです、息苦しくも懸命に生きるコメディアンを夢見る一人の青年がサイコパスへと変貌を遂げるそんな内容ですもん。
それこそかつて『人間失格』を読んだ若者が影響を受け、自殺するという事があった様ですが、何だか共通してますよね。

で、このジョーカーなんですが、殺人鬼と化すまでがかなりリアルなんですよね。
いわゆるシリアルキラーと呼ばれる凄惨な殺人犯なんかを見るとよくわかるんですが、幼少期の経験が多分に影響を与えているんですね。
特に虐待やネグレクト等がその後の人格形成に大きく影響するわけです。
このジョーカーことアーサーの半生なんかは前述の様に負の連続。
社会が悪いわけじゃないんだけど、虐げ蔑まされてきた男がどれだけ努力をしても暮らしは楽にならないし、自分が思い描く理想にはたどり着けない。
この映画を見ると多少の不平不満はあってもどれだけ自分が恵まれているかがよくわかりますよ。
時代のせいにはするな、自分の努力が足りないのだという意見ってあるじゃないですか?
でも努力だけではどうにもならない問題ってあるんですよね。
そういう視点も併せ持たないといけないんだろうなとは思います。

それから本作はコメディアンを目指す男が主人公というのもあって笑いをテーマに描いたシーンはよく登場するのですが、ロバート・デニーロ演じる人気コメディアンがアーサーをネタに観客の笑いかっさらうという描写があるんですね。
アーサーにとっては不本意な笑い「笑わせているのではなく笑われている笑い」の為、これに憤怒するわけですが、でもこれって日本のバラエティーでよく見るいじり芸じゃないですか。
日本のお笑いだと「いじられる=おいしい」、「いじられ芸人=愛されキャラ」なんて概念がありますけど、アメリカのスタンダップコメディだと通用しないのかな?
ロバート・デニーロ演じる司会者とアーサーが直接絡んだ時の司会者のツッコミで僕はクスクス笑ってたんですよ。ちゃんと漫才になってたんだけどな(笑)
あそこに活路を見出だしてたらジョーカーになってなかったかもしれないのになぁ。
でもこれに関しても僕なりの推察なんですけど、それなりに努力を積んできた人には平等にチャンスはある。
それを掴めば成功者となり、誤れば転落人生を歩む事になると。
成功者と脱落者これまた常に隣り合わせにあるものという仮説。果たしてどうでしょう?

そしてクライマックスは遂に押さえ込んでいたものが爆発するかの如く殺戮の悪魔へと変貌していきます。
これまでアーサー目線でストーリーが展開されていたので彼を虐げていた人達が餌食となるのに溜飲が下がったりカタルシスを感じたりするのはわからなくもない。
そしてここが最も気を付けなければいけない点なのが、これまでの半生に同情はしてもここのシーンで歓喜の声をあげてはいけないという事。
彼がいままさに行なっている事があくまで一般市民への殺人行為なのですからね。
一般的なアクション映画と違う点としてはここなんですよ。

で、後半にこの映画の本質的なものが見えてくるんですが、ジョーカーがさもダークヒーローの様に人々が称賛するシーンが出てくるのですが、彼を取り囲む人々というのが他ならぬ映画を見ている僕達。
これまでの歴史上、ヒトラースターリンの様な独裁者が政治を牛耳るという事がありました。
カリスマ性と巧みな話術等で人を惹き付け、頂点に立つ。
そしてその後どういう運命を辿ったかは我々はよく知っている事です。
つまり、誰もがジョーカーになる可能性はないにしても、ジョーカーを支持する可能性はある。
それを示唆するかの様な描写でした。

最後にジョーカーことアーサーを演じたホアキン・フェニックスについて触れておきましょう。
絶望の淵の中、笑いにこそ救いを求める孤独な男・アーサー。
非常に難しい役だとは思いますが、かなり惹き付けられました。
ジョーカーへと変貌していくその過程での怪演は確実に見た人の心に焼き付いて離れない事でしょう。
圧倒的な演技力をまざまざと見せつけられました。
映画ファンの中にはこの作品が今年のベスト級だと絶賛する人も多いと思いますが、間違いなく彼の演技がその大きな部分を支えていると思います。

是が非でも見るべき一本だと思います。
オススメです!