「バットマン」に悪役として登場するジョーカーの誕生秘話を描き、第76回ベネチア国際映画祭で金獅子賞、第92回アカデミー賞で主演男優賞を受賞するなど高い評価を得たサスペンスエンターテインメント「ジョーカー」の続編。トッド・フィリップス監督と主演のホアキン・フェニックスが再タッグを組み、ジョーカーが出会う謎の女リー役でレディー・ガガが新たに参加した。
理不尽な世の中で社会への反逆者、民衆の代弁者として祭り上げられたジョーカー。そんな彼の前にリーという謎めいた女性が現れる。ジョーカーの狂気はリーへ、そして群衆へと伝播し、拡散していく。孤独で心優しかった男が悪のカリスマとなって暴走し、世界を巻き込む新たな事件が起こる。
トッド・フィリップス監督のほか、脚本のスコット・シルバー、撮影のローレンス・シャー、前作でアカデミー作曲賞を受賞した音楽のヒドゥル・グドナドッティルらメインスタッフも続投。第81回ベネチア国際映画祭コンペティション部門出品。タイトルの「フォリ・ア・ドゥ(Folie à deux)」は、フランス語で「2人狂い」という意味で、ひとりの妄想がもうひとりに感染し、2人ないし複数人で妄想を共有することがある感応精神病のこと。(映画・comより)
全世界に波紋を呼んだ世紀の問題作・「ジョーカー」(2019)。ここ日本でも話題となり、興行収入は50億円という異例の大ヒットとなりました。ファアキン・フェニックス演じるアーサーという売れないコメディアンが闇落ちしていく様を非常にスリリングに緊張感たっぷりに描き、それがセンセーショナルな作品として見る人を惹きつけていったわけですが、あれから5年。遂に待望の続編が公開!これは見なければとテンションが高まりましたが、ごめんなさいこのテンション。非常に不謹慎極まりないものであると作品を鑑賞した上で抱きましたが、それに関しては後述します。
さて、日本より一週早く公開されたアメリカではかなり酷評であるというニュースが日本公開前に入りました。僕もその情報は鑑賞前にキャッチしたのである程度の覚悟を抱えた上で鑑賞に臨みました。
10月16日の水曜日。サービースデーを利用してTジョイ出雲にて鑑賞。平日午前中の上映時間という事で人は少な目。さてさて、内容は如何に?
上映開始に映し出されたのはジョーカーを主人公とした1940年代〜50年代辺りを思わせるカートゥーンアニメ。「トムとジェリー」の様なタッチのアニメーションですね。まずこのアニメーションがまるでディズニー映画を見る際に同時上映される短編アニメの如く映し出されます。
カラフルなアニメーションが終わると、ジョーカーならではの陰鬱な光景が映されます。色で例えば灰色。前作で5人の殺人を犯したアーサーが収監されている刑務所の様子です。看守からの暴力や罵声。決して気持ちの良い光景ではありません。
とこのジョーカー2の方向性が示され、物語がスタート。アーサーとジョーカー。この二つの人格を映す上で特に今回大きいのはヒロインを立てた事です。それがリーという女性であり、彼女が後にハーレイ・クイーンとなるわけですが、近年のハーレイ・クイーンイメージが強いマーゴット・ロビーではなく、レディー・ガガを起用。パリオリンピック開会式での歌唱も記憶に新しい世界的歌姫がジョーカーの世界にどの様に絡んでいくのか。これは今作にガガが起用される事が発表されてから、最大の注目ポイントでした。
彼女の来歴…というかそのバックボーンに関しては本編を直接見て頂きたいところですが、悪のカリスマたるジョーカーに心酔する女性。彼に性的な魅力すら感じています。しかしここで重要なのがあくまでジョーカーであってアーサーではないという点。これが後々アーサーに残酷な現実を突きつける事になります。
そして歌姫ガガを起用するからこそなのか今作の特徴はミュージカルシーンを取り入れている点。このダークな作風にミュージカル?と当初は思いましたが、なるほどこのアプローチかと感じたのはアーサーが描く妄想の世界。鬱々とした現状から逃避する為のイマジナリーワールドにこそ彼女とお手て繋いでのミュージカルなのです。
そして法廷の場面においての現実と妄想の交錯の場面も用意されていますが、前作においての暴力的な描写がここでは出てきますが、前作の様な場面はぶっちゃけこの辺りにしか出てきません。何だか肩透かしを食らいましたね〜と重ね重ね不謹慎な事を考えた僕ですが、この作品は単に露悪的に暴力や殺戮を見せる映画ではありません。
その意味とは…お答えしましょう。前作の落とし前。全世界で前作にカタルシスを感じた人、ジョーカーに肩入れをしてしまった人に向けての反省会映画なのです。
前作の影響というのはあまりに大きくアメリカではジョーカーに触発されて銃を乱射した者がいます。思い出して下さい、日本でもハロウィンの日にジョーカーのコスプレをした男が刃物で乗客に襲い掛かり、重症を負わせる事件がありました。
ジョーカーに成り果てていくアーサーの姿を自らと重ね合わせて犯罪を犯す者を生んでしまった事。日本での事件は当該の男に懲役23年に判決が下り、刑が確定しましたが、一時の感情を拗らせて映画に触発されて事件を起こし、23年間の刑務所入りというのははっきり言って愚かであるとしか言えませんが、トッド・フィリップス監督が手掛けた前作の功罪は大きいものがあります。
もちろんほとんどの人はあの映画で描かれたストーリーはフィクションであってエンタメとして見ていたからこそ事件なんかは起こさないですが、しかしジョーカーに少なからず肩入れしてしまった事は誰の心の中にもジョーカーが潜んでいる事を示しているし、あまつさえ鑑賞後にカタルシスを感じた事も否めないと思います。
だけどよく待て。こいつは猟奇的殺人犯であって悪のカリスマと羨望視するのは危険だぞ、世界中のジョーカーを見た人達よ、今ここで反省会を開こうではないか。これこそが最大のテーマになっていたのではないでしょうか?
そこで僕の不謹慎な心境にも触れる事になるのですが、「あのジョーカーの続編か〜楽しみだな〜」ですよ!ワイルドスピードの新作でも見る様なノリですが、よくよく考えてみると暴力やグロい描写等に期待をしている自分が居るんですよ。これまで僕は「凶悪」のピエール瀧とリリー・フランキーを、「孤狼の血LEVEL2」の鈴木亮平を、「地面師たち」のトヨエツをエンタメとしてゾクゾクする高揚感を抱きながら見てきましたよ。無論、現実世界では暴力を強く否定するし、正常な倫理観を持ち合わせていますよ。ただ、暴力的な場面に動物的な本能を刺激される事に関して実は人間って潜在的には暴力的思考が眠っているのではと強く感じるんですね。そしてその内面を強く刺激したのが前作であったという事であり、今一度冷静な思考力に立ち返ろうと世界中あげての大反省会を138分に渡って開いたという事ではないでしょうか?
また、ジョーカーいやアーサーの恋は実りません。本編でもありましたが、女性との交際歴はなく、恐らく童貞である彼にとっては初めて女性からアプローチされる。それがリーとのシークエンスになるのですが、彼はジョーカーではなく、アーサーとしての自分を見せるべく姿をさらけ出しますが、彼女が求めるのはアーサーではなく、あくまでジョーカー。こんな現実が突きつけられます。
仮面ライダーが好きなのであって変身する前の青年には惹かれない。激しいロックを奏でるバンドのヴォーカルとしての姿が好きなのであってソロアーティストとしてメイクを落としてアコースティックギターを奏でる彼には興味がない。
そういえば「こち亀」の白バイ隊員・本田に関してもこんな話しがあったな…。
ラジオで話してる時が好きであって普段の姿にはあまり…なんてファンの女性にフラれた事が…ないよ。そんな事は!
言ってて切なくなったわ。
という事で前作とは別の意味での問題作となっていました。前作を見た人は覚悟した上で…
是非劇場でご覧下さい!