きんこんのシネマ放談

映画をこよなく愛するきんこんが鑑賞した映画をズラズラっと紹介していく映画ブログ

アベンジャーズ/エンドゲーム

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アイアンマン、キャプテン・アメリカ、ソー、ハルクといったマーベルコミックが生んだヒーローたちが同一の世界観で活躍する「マーベル・シネマティック・ユニバースMCU)」の中核となるシリーズで、各ヒーロー映画の登場人物たちが豪華共演するメガヒット作「アベンジャーズ」の第4作。前作「アベンジャーズ インフィニティ・ウォー」で、宇宙最強の敵サノスに立ち向かうも、ヒーローたちを含めた全人類の半分を一瞬で消し去られてしまうという敗北を喫したアベンジャーズが、残されたメンバーたちで再結集し、サノスを倒して世界や仲間を救うため、史上最大の戦いに挑む姿を描く。「インフィニティ・ウォー」では姿を見せなかったホークアイアントマンといったヒーローも登場し、新たにキャプテン・マーベルも参戦。監督は前作に引き続き、アンソニージョー・ルッソ兄弟が務めた。
(映画.comより)

ようやくといった感じですね、『アベンジャーズ』最終作です。
もう好きな人は見てるでしょうし、公開から一ヶ月近く経つわけですが、まぁそこはいつもの事です。
ご勘弁を。
前作『インフィニティ・ウォー』が衝撃的なラストで、果たしてどうなる事やら?と首を長くする事一年。
いや~、この一年待った甲斐があった!と唸りたくなる様な内容の本作はシリーズ最長の三時間。
トイレ問題・睡魔問題等身体面での心配はあるでしょうから万全の体調で鑑賞に臨んで下さい。

まず、大前提として言いますが、とりあえず一見さんお断りなのは毎度の事です。
アベンジャーズ過去作は元より『アイアンマン』、『キャプテン・アメリカ』、『マイティ・ソー』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、『ドクター・ストレンジ』、『ブラック・パンサー』等々MCU作品の何作かは見ておかないと理解に苦しむ事でしょう。
それを前提として話しを進めていきますね。
アベンジャーズに参戦したメンバーで死んだ人、そして生存した人がはっきり別れたのが前作のラストでした。(それは上記概要でも触れられているのでネタバレと判断せず。)
生き残った面々があの強大なヴィラン・サノスにどの様に向かい合っていくのかが見所となるのが本作です。
ヒーロー稼業から足を洗い平穏な日常を過ごす人も居たりする中、皆で結集していくのですが、本作ではシリーズで初めてタイムスリップというSF要素が登場します。
これまでの『アベンジャーズ』シリーズからすると意外であり、しかも『バック・トゥ・ザ・フューチャー』というタイムスリップ物の名作も比喩として出してみたり。
そして『アベンジャーズ』の歴史を語る上で重要な時代へ各メンバーが向かいその活躍を描く。
まず、その点が意外だったし、新鮮でもあったのですが、同時に違和感も。
深くは話せませんが、あるメンバーが犠牲になった後、生き返りを示唆する様なセリフが作中に出てくるんですよ。
それは見ている側に希望的視点を生み出すのですが、一方ではこんな不安も。
「これ、禁じ手としての生き返りを出したら何でもありになるんじゃないの?」と。
ざっくりと言えば『ドラゴンボール』的手法です。
戦いに敗れ、死んでしまったとしても、生き返るからいいんじゃない?というね。
それを否定はしないけど、『アベンジャーズ』ってそんな作品だっけ?と。
その結果については直接見て頂くとして、展開的には悪い方向にはいかなかったので良かったですが、何か良くも悪くも『アベンジャーズ』らしくないなという印象です。

それから本作を見て感じたのは「正義」というもののあり方ですね。
このアベンジャーズに関しては集まった面々の視点を中心に話しが展開されるから彼ら目線による「正義」がどうしても全面的に出てしまうのですが、実は悪役であるサノスにはサノスなりの正義があるんですよね。
何故、人口を減らす必要があるの?という答えが前作『インフィニティ・ウォー』に描かれています。
そんな辺り、アメリカ的な正義感だなと感じましたが、それこそ今のアメリカとイランに関しても言えるのですが、アメリカを主体で見た場合、イラン=ならず者であり悪であるという見方。
しかし、イランとしてはイランのイデオロギーがそこにあり。
かつてのアメリカと日本でもそうですよね。
アジアを解放する、大東亜共栄圏を作るというのが日本なりの正義であった。
しかし、当のアメリカからするとそれはまかりならん、日本は許せんとその思想から戦争となった。
実際の戦争と映画の世界を混同するのはどうかというのはありますが、物事の対立というのは正義対悪ではなく、一方の主張対一方の主張なんですよね。
ここで「正義」ではなく、「主張」と置き換えたのには、手塚治虫の『ブラック・ジャック』におけるこのセリフにインスパイアされたからです。

「正義か そんなもんはこの世の中にありはしない」

名言ですね。こと『アベンジャーズ』におけるアベンジャーズとサノスの対立構図にはまさにこの言葉が当てはまります。
余談ですが、アベンジャーズの面々がタイムスリップした際、子供時代のサノスを殺そうとするシーンがあります。
言い分としてはここでこそ子供ではあるが、やがてあの強大なサノスへと化す。
悪い芽は早めに摘み取ろうという思想に基づくものです。

さて、この『アベンジャーズ/エンドゲーム』ですが、見所は多々ありますが、まず常に仲違いをしていたアイアンマンとキャプテン・アメリカの関係の変化。
10年来このシリーズを見てきましたが、ここにきて…という展開には思わず胸アツです。
それからこのシリーズらしからぬ自己犠牲の崇高さを描いてもいましたね。
それもまさかのあの人物から。
そしてあの傲慢だったトニー/アイアンマンの「かっけーぞ!」描写。
はっきり言って本作はトニーの為にあったのではないか?と思いました。

そもそもMCU作品の初期から支えてきたのがこのアイアンマンですもんね。
10年ですっかりこの『アベンジャーズ』シリーズもMCUも大きくなりました。
街中で「MARVEL」のロゴが入ったTシャツを着てる人もよく見るし、アメコミアメコミと十把一絡げで言われていたのに今ではMCUとDCEUの違いにうるさい人も増えたし、単発作でも安定した興収をあげるコンテンツに成長しました。
10年前の『アイアンマン』一作目が公開された当時から大きく取り巻く環境も変わりましたね。

10年間、MCUを見てきた自分としては感慨深いものがあります。

ありがとうアベンジャーズ
ありがとうMCU