きんこんのシネマ放談

映画をこよなく愛するきんこんが鑑賞した映画をズラズラっと紹介していく映画ブログ

母性

ベストセラー作家・湊かなえの同名小説を映画化し、戸田恵梨香永野芽郁が母娘役を演じたミステリードラマ。ある未解決事件の顛末を、“娘を愛せない母”と“母に愛されたい娘”それぞれの視点から振り返り、やがて真実にたどり着くまでを描き出す。
女子高生が自宅の庭で死亡する事件が起きた。発見したのは少女の母で、事故なのか自殺なのか真相は不明なまま。物語は、悲劇に至るまでの過去を母と娘のそれぞれの視点から振り返っていくが、同じ時間・同じ出来事を回想しているはずなのに、その内容は次第に食い違っていく。
語り手となる母のルミ子を戸田、娘の清佳を永野が演じ、ルミ子の実母を大地真央、義母を高畑淳子、ルミ子の夫を三浦誠己が演じる。「ナミヤ雑貨店の奇蹟」「ヴァイブレータ」の廣木隆一監督がメガホンをとり、「ナラタージュ」の堀泉杏が脚本を担当。(映画・comより)

あの「告白」を超えた衝撃作!…なんて謳われれば見ないわけにはいかない湊かなえ原作の映画「母性」。そもそもこの「告白」なんですが、事故死と思われた娘の死は実は殺人事件では?と自分が受け持つ生徒であろうが何だろうがと無慈悲に復讐を遂げようとする女性教師に姿に戦慄を覚えたもの。そしてこの女性教師を演じたのが、松たか子さんでこれまでの彼女には見られなかった怪演が当時話題になりました。中島哲也監督にとっても非常に脂ののっていた時期でもあり、監督にとって最大のヒットとなり、代表作となりました。

そんな「告白」を超える…なんてハードル上げてもいいんですか?僕は映画にはうるさいですよ…なんてお前は何様だ?と指摘を受けたところで内容に踏み込んで参りましょう。

戸田恵梨香永野芽郁が親子って設定実は当初は無理があるんじゃない?なんて思ってました。比較的近年に朝ドラのヒロインを務めた二人。年齢も姉妹ならまだしも親子程年が離れてるわけじゃないですよね。例えば戸田恵梨香さんが相手との再婚相手で永野芽郁さんがその連れ子というならまだわかるんですよ。それが実の親子という設定ですからね。果たしてどういう事なんでしょう?

その答えは直接作品を見たらわかります。戸田恵梨香さんが20代からアラフォーに至るまでの年齢を演じているのですが、どちらにもハマるんですよね。お嬢様育ちの20代の女性にもなるし、結婚生活による心労から心身がやつれ切ってしまったアラフォー女性の悲哀も表現出来る。さすがは女優さんだなと見てて唸っちゃいましたね。

一方の永野芽郁さんの場合、作中のほとんどが女子高生として出ているのでそこに違和感がないのは言わずもがなですね。

で、そんな母と娘二人の視点で紡ぎ出されるスリリングなストーリーが本作最大の見所となります。一方の母親の主観で語られるストーリーと娘から見たそれでは同じ事象であってもまるっきり食い違っている。これは往々にして起こりうる事であって例え親子でも…いや、親子だからこそよりその食い違いを生むんだろうなと。そしてこの双方の思考の相違をエンターテイメントに仕立てる辺り湊かなえここにありと感じましたね。

で、この作品のテーマこれこそがタイトルそのもの母性なんですよ。母性ってすごい抽象的で説明が難しいじゃないですか?それを作品全体で問いかけているんですね。戸田恵梨香が演じた母親のルミ子。彼女の特徴としては彼女の母親つまりは永野芽郁ちゃんが演じていた清佳の祖母からの親離れが出来ていないんですね。母親を溺愛するあまり娘の清佳をも母親に認められる為の道具にしてしまう。それがいきすぎているから客観的に見れば毒親以外の何物でもないんですよね。

でもここで打ち出している事がありまして、それは母親である立場の女性だって誰かの娘であり、母としての面が勝るのか娘としてのそれが上回るのかというところ。後者の場合、それに翻弄されるのが我が子であり、ルミ子と清佳の場合それが極端に現されてしまったというこのなんですよ。

ところで本作を出掛けた廣木隆一監督。過去作としては「ストロボ・エッジ」や「PとJK」等のキラキラ映画に近年だと「ノイズ」や現在公開中の「あちらにいる鬼」や「月の満ち欠け」等作品の幅が非常に広いです。とりわけ「ノイズ」や本作等スリリングなサスペンスにも意欲的な姿勢なのが見てとれます。

ただ、個人的にどうしても気になってしまった台詞があります。戸田恵梨香演じるルリ子がとある場面で発したセリフに「子供なんてまた作ればいい」というものがありました。ルリ子が清佳に愛情が薄いという事を象徴する台詞だとは思いますが、これは子供の人権を軽視する発言だと思いますし、子供が産めない事に悩む女性やご夫婦への配慮に欠けるものだと抗議させて頂きます。

そんな違和感は感じましたが、全体を通して言えばハラハラさせるストーリー展開や伏線の張り方やその回収等は見応えありました。

母性とは何か?を強く問いかけるサスペンス作品。あなたも是非その目でご覧下さい!

ストレンジ・ワールド もうひとつの世界

伝説的な冒険一家の親子3世代が、奇妙で不思議な世界で壮大な冒険を繰り広げる姿を描いたディズニー・アニメーション・スタジオの長編作品。「ベイマックス」のドン・ホールが監督、「ラーヤと龍の王国」で脚本を務めたクイ・グエンが共同監督と脚本を務めた。
若いころに行方不明となった偉大な冒険家の父へのコンプレックスから冒険を嫌うようになったサーチャー・クレイドは、豊かな国アヴァロニアで、愛する息子のイーサンと妻とともに農夫として静かに暮らしていた。しかしある時、アヴァロニアのエネルギー源である植物が絶滅の危機を迎え、世界は崩壊へと向かってしまう。この危機を救うため、サーチャーたちは地底に広がる、“もうひとつの世界(ストレンジ・ワールド)”へと足を踏み入れるが……。
声の出演は、主人公サーチャー・クレイドジェイク・ギレンホール、偉大な冒険家の父イェーガーにデニス・クエイド。日本語版ではサーチャー役を原田泰造、息子のイーサン役を鈴木福、父イェーガー役を大塚明夫が担当(映画・comより)

多様化が叫ばれる様になって久しいです。男性とは〜女性とは〜なんて事が今では言えない状況であり、LGBTの概念と言うのは今ではすっかり根付いた感があります。世界のディズニーだってその辺りは繊細かつ敏感で今作では同性愛者の少年が登場してきます。また、今作はいわゆるアドベンチャーモノでありながら、敵を退治するのではなく、共存していく道を提示していくという形で現代的な価値観を標榜していく作品。果たしてそれがどの様に映画との融合を見せていくのでしょうか。

インディ・ジョーンズ」に代表される未開の地への冒険活劇。探検という題材はいつの世もワクワクさせるものがあります。本作の主人公であるサーチャ・クレイドは偉大な冒険家である父の後を追い、若い頃はあらゆる地へ父と共に出掛けます。しかし、彼が冒険家に向いているかどうかはまた別の話しであり、また父が行方不明になった事で冒険というものに対して懐疑的となり、その結果が現在の農家という仕事。そこで妻と息子と共にささやかでも幸せに暮らしていたのが、ストレンジ・ワールドへと足を踏み出していくわけですね。

かつての冒険仲間更には家族も加わりアドベンチャーが始まるのですが、前述の「インディ・ジョーンズ」的なものと明らかに違うのは地球上の未開拓地ではなく、現実と乖離した様な異世界であるという事。何ならSF的な要素も取り入れている辺りが現代のディズニーが仕掛けるアドベンチャー映画としての主張を強く感じました。

仲間のキャラクターなんかは「バズ・ライトイヤー」を思い出しましたからね。

そんな中での冒険活劇なんですが、本作最大のポイントとしては家族の物語であるという事。

伝説の冒険家である父イェーガーに主人公そして同性愛者である息子のイーサンこの3代が冒険を通じて絆を確かめ合うそこにサーチャーの妻も加わり家族の物語として展開していきます。家族でありながら考え方や生き方が全く違う彼らがどの様にひとつの帰結へと向かうのかは是非作品を直接見て頂きたいところです。

また、前述の様にモンスターを退治するというかつてのアドベンチャー映画では避けては通れない場面にディズニーなりの新しい価値観を父子3代が向かい合うボードゲームで示したのは面白いところ。父や祖父の代だとモンスターは倒すものという旧来の価値観しかし子であるイーサンは全く違う考え方なんですよね。どの様に共生するかを訴え父と祖父の考えを徹底して批判するんですね。わかりやすく例えればゴジラ仮面ライダーで育った祖父と父に対してポケモンで育った息子(孫)での価値観の違いというところでしょうか。この辺り如何にも現代的で興味深かったです。

とこの様に見所は確かにありましたが、個人的にはノレなかったですね。

というのが現代的な価値観の標榜という大きなテーマやメッセージを打ち出すのはいいけどストーリーに起伏がないんですよね。テンポはわるくはなかったとは思いますが、単調に進行するもんだから盛り上がるとされる部分がわかりづらかったし、やや退屈に感じてしまいました。上映中に何回時計を見たかわかりません。

それから現代的な価値観を打ち出している割には主題歌が古くさいんですよね。1950〜1960年代くらいの作品のテイストなんですよ。新しい価値観を主張したいのかレトロに寄り添いたいのか主題歌からの印象はわからない。

去年見た「ミラベルと魔法だらけの家」を見た時にも感じましたが、最近のディズニーは配信の舵を切った事を契機に作品づくりもおざなりになってしまったのではないかと感じてしまいます。この調子ならディズニーはいよいよ長い冬の時代に入るのではないかと思いますよ。実際「アナ雪2」以来劇場での大きなヒットがないですしね。2010年代に世界中の映画シーンを牽引したディズニーには今一度良質な作品を生み出してほしいと個人的に強く熱望するところです。配信もいいけど劇場で公開する以上は上質なエンタメ作品を発信して頂きたいといち映画ファンとしては願ってやみません。

 

すずめの戸締り

君の名は。」「天気の子」の新海誠監督が、日本各地の廃墟を舞台に、災いの元となる「扉」を閉める旅に出た少女の冒険と成長を描いた長編アニメーション。
九州で暮らす17歳の岩戸鈴芽(すずめ)は、扉を探しているという旅の青年・宗像草太と出会う。彼の後を追って山中の廃墟にたどり着いたすずめは、そこだけ崩壊から取り残されたかのようにたたずむ古びた扉を見つけ、引き寄せられるようにその扉に手を伸ばす。やがて、日本各地で次々と扉が開き始める。扉の向こう側からは災いがやって来るため、すずめは扉を閉める「戸締りの旅」に出ることに。数々の驚きや困難に見舞われながらも前へと進み続けるすずめだったが……。
「罪の声」「胸が鳴るのは君のせい」などに出演してきた若手俳優原菜乃華が、オーディションを経て主人公すずめ役の声優に抜てきされた。草太役はこれが声優初挑戦の「SixTONES」の松村北斗。そのほか、深津絵里染谷将太伊藤沙莉、花瀬琴音、松本白鸚らが声優を務め、新海作品常連の神木隆之介花澤香菜も出演。音楽も、新海監督と3度目のタッグとなる「RADWIMPS」が、作曲家の陣内一真とともに担当した。(映画・comより)

日本中が、いや全世界待望の新海誠監督の最新作『すずめの戸締り』です。公開前からその熱量は尋常ではないものがあり、金曜ロードショーで『君の名は。』が放送された際には冒頭の12分が解禁されたりSNSでも非常に盛り上がっておりました。

もちろん私もこの波に乗らないわけには行かず、公開初日ではありませんが、公開週の週末見て参りました!さすがに日曜日とありまして、多くの人で賑わうMOVIX日吉津。午前三回目の回に入りましたが、事前にネット予約をしていたので比較的良席をキープ出来ました!

まず何と言ってもいや、言わずもがななんですが作画の美しさ。冒頭から早速新海誠クオリティの写真にも近いリアルな作画を見ると三年振りの新海作品との再会を心からの感激が沸き起こってきました。つまりは最初から映画に向けてのボルテージの高さを内に秘めながら作品世界へ没入していったわけですね。『君の名は。』と『天気の子』もそうであった様に風景の作画には目を見張るものがありまして、地方と都市の描写に看板や自販機、登場人物が手にする商品からiPhoneから流れるサブスクの画面に至るまでとにかく細かい。また、前二作で見せた空の青に雨の描写、更には災いを表す不穏な天変地異をまざまざと写し出す場面等やはり新海誠作品が他のアニメーション作品と一線を画す領域にある事を映像ひとつで証明していると思います。

また、本作で特徴的なのはロードムービーである事。なんて言えば『君の名は。』は?と言われそう。確かに『君の名は。』も東京と岐阜を結ぶロードムービー的側面はありました。しかし、今作に関して言えば宮崎〜愛媛〜神戸〜東京そして東北と過去作にない程移動範囲が広いんですよね。

で、共通するのがそれぞれの場所においてかつて人々の声が飛び交い活気に満ちていたものの、現在は朽ち果ててしまった廃墟から放たれる気がポイントになっているんです。災害により荒廃してしまった集落に時代と共に淘汰され、閉園してしまった遊園地。これらの場所にはかつては確かに人の姿があり、場所も建物にも生気がみなぎっていた。しかし今や誰も足を向けない当該の場所であっても場所や建物に意思があり、それが大きな力で時には人に牙を剥く事もある。これらの災いを封じながら北上し、遂には主人公・すずめのルーツに辿り着いていくというものです。この道中をその土地その土地と接しながら時にコミカルな描写を織り交ぜながら展開していくので見る人をすずめ達の旅にうまく気持ちを乗せていくんですね。そう、それは都市部の国道をはたまた田舎の一本道を走る真っ赤なスポーツカーの様に…なんてこれもポイントになってますからね。

また、本作ではRADWIMPSの楽曲もそこそこに既存の楽曲を巧みに作中に入れ込んでこれまでの新海作品との違いを音楽面で見せてくれていました。『天気の子』ではカラオケ場面で「恋」や「恋するフォーチュンクッキー」といった平成後期のヒット曲を作中に取り込んでいましたが、本作はまさかの昭和の歌謡曲やシティポップ等のアプローチ。神戸のカラオケスナックだと如何にもなオジサマとママのデュエットにチェッカーズを歌うサラリーマン等こういうお店でよく見かける光景。更に件の真っ赤なスポーツカーからはまさかの「ルージュの伝言」…を使ってのジブリのあの名作のオマージュがあり。ちなみにこのジブリ作品以外のジブリの名作や更にはエヴァ等新海さんに強い影響を与えた作品のオマージュ描写は今回かなり出てきますよ。

さて、本作で最終的にたどり着くのが東北。そしてここで大きく扱われるのが3.11なんですね。主人公・すずめは何故九州から東北までの長旅をするのかがそこなんですね。彼女には辛い過去があり、それとどう向き合っていくのがテーマになっていたんです。新海誠作品では『君の名は。』で隕石『天気の子』で異常気象といった具合に自然のもたらす恐怖というものをこれまでに描いてきましたし、『君の名は。』は暗に震災を想像させる形で作品で表してきましたが、3.11東日本大震災を直接的に扱った作品は今作が初めてです。

日本の映画ではこれまでにも震災を扱った作品はありました。しかし、震災を描きそこから感傷的な気持ちを引き出してそこからの踏み込みが弱かったと思います。もちろん東日本大震災がまだ記憶に新しく未だその傷が癒えない人だってたくさん居るし、大切な人を亡くした人の事を考えると踏み込むのも躊躇われてしまうのかもしれない。しかし、今作で新海誠監督がすずめという少女に与えた命題は過去を受け止め悲しみを克服し、時間を進めていく事なんですね。

彼女には本作で行動を共にした草太に彼女を母親代わりの様に育てる叔母と理解を示す人が居る。そしてまだ若くこれからの人生が遥かに長いのだ。その上で彼女の心を締める震災の記憶がどう心の折り合いを付けさせるかなんですよね。その上で幼いすずめと高校生の彼女が向き合う姿には胸に突き刺さるものがありました。そして僕はこのシーンでこれまでの新海誠作品史上最大級の落涙をしてしまいました。当然僕だけではなく、周囲からも涙をすする声が聞こえてきましたね。

震災を題材にする難しさというのはこれまで数々の作品を見て思いましたが、新海誠監督がその最上級の答えを本作で示したのではないでしょうか。

また、ラストも良かったです。各土地土地で出会った人達との心の交流をRADWIMPSの曲に乗せて写し出していました。そしてこれを見て思いました。

やはり新海誠監督は偉大だなと。三作続けてこのクオリティを保持し続けるところに心からの敬意を表したいと僕は思いました!

強くオススメします!

 

ある男

芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラーを「蜜蜂と遠雷」「愚行録」の石川慶監督が映画化し、妻夫木聡安藤サクラ窪田正孝が共演したヒューマンミステリー。
弁護士の城戸は、かつての依頼者・里枝から、亡くなった夫・大祐の身元調査をして欲しいという奇妙な相談を受ける。里枝は離婚を経験後に子どもを連れて故郷へ帰り、やがて出会った大祐と再婚、新たに生まれた子どもと4人で幸せな家庭を築いていたが、大祐は不慮の事故で帰らぬ人となった。ところが、長年疎遠になっていた大祐の兄が、遺影に写っているのは大祐ではないと話したことから、愛したはずの夫が全くの別人だったことが判明したのだ。城戸は男の正体を追う中で様々な人物と出会い、驚くべき真実に近づいていく。
弁護士・城戸を妻夫木、依頼者・里枝を安藤、里枝の亡き夫・大祐を窪田が演じる。(映画・comより)

あなたの身近にいる友人や同僚、はたまた恋人もしかしたら配偶者があなたの知る人物と実は別の名前や戸籍、生い立ちがあるなんて考えた事はありますか?

正直、僕はこの映画を見るまでは考えた事はありませんでした。友人が別の名前を持っている?仕事仲間が僕の知る人物とは違う?今まで付き合ってきた女性には僕の知らない生い立ちを抱えている?いやいや、あり得ないあり得ない…とあながち否定も出来ないのが現代社会なのかな?なんて思わせてくれたのが本作でした。

当人にしてみたらたまったものではないかもしれないが、こうしてエンタメとして落とし込んでくれるとこうも引きつけられるのかと思いましたね。

じゃあ何故本当の自分を隠して人と接するのか?ましてや今作で窪田正孝演じる大佑という男性は愛する妻や子供に対してもだぞ。そこには現代社会に潜む様々な陰の部分が表出してくるのでした。

それは表面的には平等と謳いながらも人の出自や環境等に対して差別や偏見の目を向けるという事ですよね。ここで出てくるのが在日という事であったり死刑囚の子という事であったり。

これを表出させていく過程で妻夫木聡演じる弁護士の城戸が依頼人である安藤サクラ演じる里枝の夫・大佑の謎を追求していきます。

戸籍を改竄する為の犯罪人も出てくればヘイトスピーチが出たりと社会派作品として様々な問題を画面に映し出していくのですが、これらの問題について思いを巡らせると同時にスリリングなストーリーの運びに目が離せなくなる自分がいました。

そして実は城戸自身もまた己の出自や今の置かれた境遇にコンプレックスを抱えている。彼は一見すると恵まれています。そもそも仕事が収入の高い弁護士であり、マイホームを持ち妻と子供もおり、家庭内に不和があるわけでもない。じゃあそんな彼が何で?それこそが出自なんですよね。どれだけ社会的に成功していても彼の出自を知る人からは心ない言葉を受けたりもする。それによって彼は苦しめられ、自分との訣別を所望したりもする。出自なんて関係ない!本人の努力次第で環境なんて変えられるじゃないか!僕ももちろんそう思います。しかし、当人がそれを呪縛として捉えているのであれば、どれだけ収入が高かろうと家族に恵まれていようと満たされない…どころか負い目に感じてしまう。それが妻夫木聡さんの好演によってよく伝わりましたね。ラストの描かれ方も良かったです!

また、様々な社会的な闇を写し出す中でショッキングの映像もあります。死刑囚を扱う上で事件を捉えるというのは必然的。生々しい描写が鬼気迫るものとなってリアリティがありましたね。

決して明るい内容の映画ではありませんが、非常に深いメッセージも盛り込まれており、社会派作品としては見応えあるものでした!

是非劇場でご覧下さい!

 

ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー

マーベル・シネマティック・ユニバースの一作として世界的大ヒットを記録し、コミックヒーロー映画として史上初めてアカデミー作品賞を含む7部門にノミネート、3部門で受賞を果たした「ブラックパンサー」の続編。主人公ティ・チャラ/ブラックパンサーを演じたチャドウィック・ボーズマンが2020年8月に死去したが、代役を立てずに続編を製作した。

国王ティ・チャラを失い、悲しみに包まれるワカンダ。先代の王ティ・チャカの妻であり、ティ・チャラの母でもあるラモンダが玉座に座り、悲しみを乗り越えて新たな一歩を踏み出そうとしていた。そんな大きな岐路に立たされたワカンダに、新たな脅威が迫っていた。

監督・脚本は前作から引き続きライアン・クーグラーが担当。ティ・チャラの妹シュリ役のレティーシャ・ライト、母ラモンダを演じるアンジェラ・バセットをはじめ、ルピタ・ニョンゴマーティン・フリーマン、ダイナイ・グリラ、ウィンストン・デューク、フローレンス・カスンバらが前作キャストが再登場。新たに「フォーエバー・パージ」などで知られるテノッチ・ウエルタが参加した。(映画・comより)

久しぶりのMCU…という洋画自体扱うのが久しぶりですが、二ヶ月振りとなる洋画『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』です。MCU作品としては『アベンジャーズ エンドゲーム』に次ぐ長尺の160分という大作になった『ブラックパンサー』の二作目。そこまでの大作になったその背景としては前作でブラックパンサーを務めたチャドウィック・ボーズマンの死去というのが大きいですよね。

2018年に公開され、全世界で大ヒットとなった前作の『ブラックパンサー』。MCU作品として史上初のアカデミー作品賞他7部門でノミネート内3部門を受賞する等の快挙を遂げ、コミックヒーロー映画として軽く見られがちなMCU作品が映画として高い評価を得るに至った出来事だと思います。その功労者となったのがチャドウィック・ボーズマンの名演が果たした役割はかなり大きいのは言うまでもありません。

MCU他作品とのユニバース展開等今後の期待もかなり大きい中での彼の逝去は映画ファンに深い悲しみを与えました。しかし、亡くなった彼の意志を作品に託し新たなブラックパンサーのユニバースを展開すべく遂に今作『ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー』が公開となりました。

まず冒頭。チャドウィック・ボーズマンへの追悼また実際の作品世界でもティ・チャラ/ブラックパンサーは亡くなったものとして映し出されます。悲しみに暮れる家族やワカンダの人々。如何に彼が愛されて親しまれ尊敬を集めたのかこれは俳優・チャドウィック・ボーズマンへのそれと重ねており、製作にあたっての監督をはじめとしたチームが如何に彼に敬意を払っているのかがスクリーンから我々に訴えかけてくる。もちろん作品を見ている我々だって彼の死を受け止めながらもその光景に感情が揺さぶられる。冒頭から落涙する人だってきっと少なくないでしょう。また、彼の葬儀のシーンが印象的でして、棺が運ばれる中、太鼓や踊りで賑やかに葬送するんですね。日本に住んでいるとこういう光景はお目にかかれないもの。厳かに葬儀を執り行うのが日本式。こういう葬儀のスタイルもあるのかと学ばせて頂きました。

そして国王亡き後のワカンダ。母・ラモンダが王位に就くのですが、国際的な議会に出た時に他国からの締め付けというのかともすればカリスマ的国王亡き後だからこその資源を巡っての動きなんかを見ていたら実際の世界で行われている事象と重なる様でもありました。

しかし、敵は意外な所から現れるもの。本作の核となる当該の敵なる存在との対峙が加速度的にストーリーを盛り上げていきます。そして面白かったのがバトルシーン。前作ではワカンダの広大な大地を中心とした陸上戦が主となってましたが、今作では更に広いフィールドを使う事になります。海上で派手にぶつかれば空中でも白熱した戦いが画面いっぱいで繰り広げられる。そう!陸海空を所狭しと使いながらアクションたっぷりにバトルが展開される!これはテンション高まりましたね!

そしてこの敵となる種族の悲しい歴史も明かされます。それは正に人類の歴史そのものを見る様。異分子を排斥し、はたまた奴隷として酷使し搾取するその様子ですよね。こんにちでは多様性を認め合う風潮が強まってはいるものの、しかし根底に漂う普遍的なテーマがしっかりと描かれていました。

それにしても彼らの姿がどうしてもアバターと重なってしまったのは私だけでしょうか。

さて、ティ・チャラ亡き後ワカンダの危機を救うべく戦ったのは誰でしょうか?もちろん残された人達が力を合わせ局面に向かい合ってはいましたが、要となったのは妹・シュリでした。彼女は兄の死という悲しみを背負い、それでも自分に出来る事を見つけ、時にはそれによる葛藤を見せながらも力強くピンチを切り抜けワカンダの民の為に戦います。ワカンダに彼女がいる限り続編にも期待が高まる所です。しかし、ラストでは意外な流れに…という所なんですが、そこは是非直接見て頂きたい!

冒頭ではブラックパンサーことチャドウィック・ボーズマンへの弔意を壮大に写し出していましたが、エンドロールで再び彼に対するメッセージが。ここにも込み上げるものがありましたね。

マーベル作品は他のユニバースとの繋がりが等ハードルが高いという人も多いとは思いますが、本作に関してはまず1作目を見た上で鑑賞すれば全く問題ありません。きっとブラックパンサーの事が好きに更にはワカンダに住みたくなるかもしれません。

是非劇場でご覧下さい!

最後にいち映画ファンとしてチャドウィック・ボーズマンへ感謝と敬意を込めて今回は締めさせて頂きます!

貞子DX

リング」シリーズに登場する世界的ホラーアイコン・貞子がもたらす恐怖を描く「貞子」シリーズの1作。

呪いのビデオを見た者が24時間後に死亡する事件が全国各地で続発。IQ200の天才大学院生・一条文華は、テレビ番組で共演した人気霊媒師・Kenshinから事件の解明を挑まれる。呪いがSNSで拡散すれば人類は滅亡すると主張するKenshinに対し、文華は呪いなどあり得ないと断言。そんな彼女のもとに、興味本位でビデオを見てしまった妹・双葉から助けを求める電話が入る。「すべては科学的に説明可能」と考える文華は、自称占い師の前田王司や謎の協力者・感電ロイドとともに、貞子の呪いの謎を解き明かすべく奔走する。

「妖怪シェアハウス」「魔女の宅急便」の小芝風花が文華役で主演を務め、ダンス&ボーカルグループ「THE RAMPAGE from EXILE TRIBE」の川村壱馬、「アヤメくんののんびり肉食日誌」の黒羽麻璃央が共演。監督は「仮面病棟」の木村ひさし。(映画・comより)

ジャパニーズホラーの人気アイコン貞子が誕生してから25年の時が経ちました。97年の「リング」で初めての貞子体験で恐怖を感じたワタクシ。海外で言う所のジェイソンの様なホラーアイコンが遂に日本からも登場したと当時の事は強く印象に残ってます。ところが昨今ではネタ的扱いになっていたりと当時の怖さを知る身としては淋しくもあり。

なんて言ったものの貞子関連の作品を見るのは割と久しぶりでして、果たして最近の貞子はどの様に取り沙汰されているのかを楽しみにMOVIX日吉津にて鑑賞して参りました。

見た者が必ず一定期間中に死ぬという呪いのビデオ。「リング」の頃はまだまだVHSの全盛。そういった事もあってこのビデオというのが非常にリアルなアイテムでした。しかし、時が流れ今やVHSというものを使う人もめっきり減ってしまった今の時代。ビデオはレトロなものとして扱われる反面、現代的なアプローチを仕掛けていました。

それはSNSや動画といった今の時代における身近なツールをホラーアイテムとして利用する事によって恐怖を煽るというもの。しかし、これは前作でも使われていた様で、では今作の特徴的な面は何か?

それはズバリ科学の力です!池内博之が演じていた霊媒師・Kenshinは非科学的な呪いの力を力説。しかし、対する主人公である小芝風花演じる天才大学院生・一条文華が呪いを徹底して否定。科学こそが!という主張を一貫して強調します。しかし、興味本位でビデオを見てしまった妹の双葉(八木優希)の身に不可解な事象が起こった事で物語が大きく進行していくわけです。科学信奉者である文華が身内に呪いと思しきアクシデントが発生する事で彼女はどの様に動いていくのかが見てる人の好奇心をかき立ててくれました。

尚、本作はホラーではあるものの、ガチガチなホラーそれこそ「リング」の一作目の様なものではなく、エンタメに振り切っていたのが奏を攻してか非常にテンポも良くホラーが苦手な人でも楽しめ内容となっていました。

というのもメガホンを取ったのが木村ひさし監督。これまで「劇場版ATARU」や「99.9-刑事専門弁護士 THE MOVIE」といったTVドラマの劇場版や「任侠学園」や「屍人荘の殺人」等コメディ色強めの作品を手掛けてきた監督です。それもあってかホラー映画らしからぬ濃いキャラクターの登場人物やギャグ描写等等割とゆる〜いテイストもあり。

これは個人的に思ったのが例えば先日取り上げた「カラダ探し」。ジャンルとしてはホラーなんだけどそれにプラスして青春映画要素も非常に強めでした。で、緊張と緩和が上手く生み出されていて映画としてまとまっていたとレビューでもお伝えしました。

で、この「貞子DX」ですよ。貞子や呪いのビデオは健在でもやはり木村ひさし節というのかコメディを入れる事によって疲れない。

今はガチなホラーだとなかなか難しいのかな?まぁホラー描写ばかり続くと疲れるというのは確かにあるしね。

で、そんな木村ひさし節にうまく乗っかったキャラクターが前田という青年。色んな経緯を経て文華とバディを組む事になるのですが、彼がいちいちウザい。ナルシスト全開で事ある毎に発するクサ過ぎるセリフと決めポーズの様な仕草。女性なら誰でもちゃん付けする馴れ馴れしさ。文華や妹の双葉ならまだわかるが母親にもちゃん付けですからね、如何にヤバい奴か(笑)呪いを恐れバタついてみたりともすれば足手まといになりそうな彼を瞬時に突っ込む文華のやり取りがとにかく笑いを誘います。LDHには疎い私なんですが、前田を演じた川村さんは非常に役がハマっていたなと思います。「ATARU」での北村一輝さんと栗山千明さん、「屍人荘の殺人」での神木隆之介さんと浜辺美波さんの様に男性ボケ役女性ツッコミというこの位置関係は木村監督の得意とする所なんだろうなと思いました。

さて、この様にホラーでありながらコメディ色強めで楽しんだ今作ですが、しっかりとメッセージも打ち出されていました。

それはウイルスについてです。科学だ呪いだと翻弄される登場人物達。しかし、結局は貞子の恐怖に対峙した時に無力である事に気づかされるのです。しかし、最終的には規則正しい生活こその重要性が解かれやがて解決に向かっていくのです。我々は朝の同じ時間に起床し、一日の生活をスタートさせます。仕事に学業に家事にとそれぞれの生活のリズムがあり、三食の食事をし大体同じ時間に睡眠を取る。これが少しでもバランスを崩してしまうと免疫が低下し、ウイルスに侵食され体調を崩し、病気になる。これを貞子という稀代のホラーアイコンを使いながらうまく伝えてくれるんですよね。

正直、科学 VS 呪い論争からどの様に話しが広がるのかを注視していた分、意外な帰結点ではありましたけどこれはこれで良かったかなと思ってます。

先日の「カラダ探し」同様、ホラー映画が苦手な人であっても楽しめる作品かなと思います。言い換えればガチなホラーを求める人だと物足りないのかもしれませんが。

僕は割と楽しみました!オススメです!

線は、僕を描く

水墨画の世界を題材にした砥上裕將の青春小説「線は、僕を描く」を、横浜流星の主演、「ちはやふる」の小泉徳宏監督のメガホンで映画化。
大学生の青山霜介はアルバイト先の絵画展設営現場で水墨画と運命的な出会いを果たす。白と黒のみで表現された水墨画は霜介の前に色鮮やかに広がり、家族を不慮の事故で失ったことで深い喪失感を抱えていた彼の世界は一変する。巨匠・篠田湖山に声を掛けられて水墨画を学ぶことになった霜介は、初めての世界に戸惑いながらも魅了されていく。
篠田湖山の孫で霜介にライバル心を抱く篠田千瑛を「護られなかった者たちへ」の清原果耶、霜介の親友・古前を「町田くんの世界」の細田佳央太、霜介に触発されて古前と共に水墨画サークルを立ち上げる川岸を「サマーフィルムにのって」の河合優実が演じ、三浦友和江口洋介富田靖子らが脇を固める。(映画・comより)

三部作として製作され大ヒットし、一躍広瀬すずの人気を押し上げた「ちはやふる」。百人一首という日本古来の文化的題材を用いながら競技かるたに汗を流す高校生達の奮闘を描いた素晴らしい青春映画でした。

その「ちはやふる」の完結編「ちはやふる-結び-」から4年。「ちはやふる」製作チームが着目したのが水墨画というこれまた一般人には馴染みの薄い題材を扱った本作でした。

映画を通して日本の伝統文化を広く知らせていくのは素敵な事だと思います。僕も水墨画にはてんで馴染みが薄い。そこにはどんな世界が広がっているのか楽しみに鑑賞して参りました!

映画の冒頭から早速ダイナミックな水墨画の主張が始まります。それは三浦友和演じる水墨画の巨匠・篠田湖山が巨大な半紙に向かいこれまた大きな筆を手に作品を生み出していく。そこで主人公の横浜流星演じる霜介が魅了されるところから物語が本格的にスタートしていきます。

確かにそれは迫力があり、動きも豪快でムダがひとつもない。霜介ならずとも巨匠の水墨画には引き込まれていく事でしょう。その湖山の目にかかる霜介が湖山の水墨画教室に入り、筆の腕前を上達させていくまでのストーリー…と言えばそうなんですが、この作品はもっともっと深い所に踏み込んでいってるんですね。

それはすなわち作品作りとはその人の人生を反映させるものという事です。ストーリーの前半を見ると霜介は虚無感に満ちている。水墨画を始めるもどこか自信がないんですよ。でもそれが後半になると明らかになる。彼には彼の辛い過去があり、それを乗り越えるという事に彼自信がもがき苦しんでいるんですね。

それだから「ちはやふる」の様にエネルギッシュで躍動感のある主人公を想像すると大きな間違いである事に気がつきます。広瀬すずの千早が動であるならば今作での霜介は間違いなく静ですからね。彼自身が筆を取るシーンだって映画全体の中でも僅かなものですからね。

そう、この映画は水墨画を通しての技術の向上や成功譚ではなく、トラウマの克服や人生経験と作品作りの結びつきといったかなり深い所を描いているんですよ。こういう点は予想もしていなかったので良い意味で裏切られましたね。

また、このトラウマの克服や己の殻を破るというのは霜介だけではないんですよね。ヒロインである清原伽耶演じる千瑛もまた然り。彼女は巨匠・篠田湖山の孫であり、水墨画界の姫として脚光を演じる若き天才…なんて言えば華やかで才能に恵まれた水墨画家なのかと思いたくもなるのですが、実はそうではないんですよね。彼女には彼女なりの苦悩や葛藤があり、それに縛られ自分の作品に自信が持てなくなっている。そうなんです、実はこの映画は水墨画そのものもですが、若者の葛藤とそれを乗り越えて成長していく過程を大きく取り扱っている作品なんです!

ここで言いたい事!タイトルを見て頂きたい!「僕は、線を描く」ではなく「線は、僕を描く」という所です。水墨画を描く姿を捉えるのであれば前者のタイトルを採用すべきではありませんか?しかし、後者になっているのはつまりそういう事!水墨画をきっかけに人が能動的に動いていく。故に「線は、僕を描く」という事なんですね。

それにしても思ったのは製作チームがうまいなと思ったのはこの清原伽耶の撮り方。とりわけ彼女が初めて登場した時ですよね。「ちはやふる」で言うところの松岡茉優演じるカルタクイーンしのぶの様に一段上にいるカリスマ性ある存在感ね。あの撮り方がここでも生かされているんですよ。更に清原伽耶さんの着物姿は素敵すぎる!こういう辺りにはかなりこだわりを持って彼女を女優として輝かせる事に注力し、撮影をしたんだなと思いました。そういえば清原伽耶さんは「ちはやふる」にも出てましたよね。

尚、この二人を安易に恋愛的な展開に持ち込まなかったのは賢明な判断だったかなと思います。ただでさえ、それぞれの人生をフォーカスする場面が多い中、恋愛描写を入れるとそれがノイズになってしまい、主軸となるべく水墨画という題材すらもぼやける事になりかねませんからね。

で、個人的には本作において特に光っていたのが江口洋介さんでしたね!飯を作ったり、雑用をこなしたり、時には運転手をしたりと湖山先生の付人か何か?…なんて思って見てましたが、彼にはとんでもない見せ場が用意されており…。実は映画全体を通してこの場面が特にカッコ良かったです!決して江口洋介の映画ではないですけどね。で、本作においての江口はキャラクター的にもめちゃくちゃ合ってましたね!往年の名作ドラマ「ひとつ屋根の下」のあんちゃんがそのまま年齢を重ねた様な気さくさ。横浜流星さんや清原伽耶さんからすると江口さんはあんちゃんではなく、お父さんの様な年齢差だと思うんですが、篠田湖山門下ではお父さんの様であり、あんちゃんの様でありこういう人と過ごしてたら楽しいんだろうなと思いました。「七人の秘書 THE MOVIE」でも話しましたが、ここ近年は悪役やヤクザ等のアウトロー系の役もこなす江口さん。もちろんそちらも魅力的ではあるんですが、個人的にはこういう善人役の江口さんをもっと見たいなと思ってます。

さて、全体的には非常に見所も多く映画だなと思った一方、もったいないと思ってしまったのが後半の流れですね。前述の様に紆余曲折を経て作品に向き合う若い二人なんですが、結果的には良い方向には向かいます。ただ、どうしても尺の関係で駆け足になってしまい、結果深みが生まれなかったのが個人的には残念な所でしたね。せっかく各々の壁をぶち破り作品を生み出していった両者に対して多少過剰であってもドラマティックに見せる手法や演出はもっとあったのではないかなと思います。

でも水墨画というニッチな世界を舞台に二人の若者が成長していく青春映画としては非常に良く出来ていたと思います。

是非劇場でご覧下さい!