きんこんのシネマ放談

映画をこよなく愛するきんこんが鑑賞した映画をズラズラっと紹介していく映画ブログ

アリー/スター誕生

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歌の才能を見いだされた主人公がスターダムを駆け上がっていく姿を描き、1937年の「スタア誕生」を皮切りに、これまでも何度か映画化されてきた物語を、新たにブラッドリー・クーパー監督&レディー・ガガ主演で描く。音楽業界でスターになることを夢見ながらも、自分に自信がなく、周囲からは容姿も否定されるアリーは、小さなバーで細々と歌いながら日々を過ごしていた。そんな彼女はある日、世界的ロックスターのジャクソンに見いだされ、等身大の自分のままでショービジネスの世界に飛び込んでいくが……。世界的歌姫のガガが映画初主演でアリー役を熱演。もともとはクリント・イーストウッドが映画化する予定で進められていた企画で、「アメリカン・スナイパー」でイーストウッドとタッグを組んだクーパーが初監督作としてメガホンをとり、ジャクソン役でガガとともに主演も果たした。
(映画.comより)

それにしても映画シーンにおいて2018年という年を振り返った時、音楽映画の年だったと後年語られているんでしょうね。
どれだけ音楽映画が公開され、ヒットを飛ばしてきたか。
そしてそんな2018年の年の瀬にまた新たな名作が日本で公開されました。
『アリー/スター誕生』。
1937年の『スタア誕生』からこれまで4回に渡ってリメイクされてきた作品。
とは言え、今作の前にリメイクされたのはかれこれ40年前。
自分はこれまでの作品は全くの末見なので今作をまっさらな状態で鑑賞してきました。
当初はクリント・イーストウッドが監督をし、ビヨンセが主演をつとめる予定だったのが、話しが流れ、今作の主演をレディー・ガガ、主演&監督をブラッドリー・クーパーという座組に落ち着き、2017年春に撮影がスタートしたとの事。

本作の内容に触れる前に僕にとってのレディー・ガガについてお話ししておきます。
ぶっちゃけて言うと2008年~2011年頃まではめちゃくちゃ好きでした。
『ジャストダンス』、『ポーカーフェイス』、『バッドロマンス』からの『ボーン・ディス・ウェイ』までは神がかっていたなと思います。
アルバムもよく聴いてましたよ♪
ところが2013年のアルバムが微妙だったトコロから次第に心が離れていきまして、久しくレディー・ガガの曲は聴いていないです。
日本でのセールスも『BORN THIS WAY』をピークにアルバムのセールスも低下してる様ですが…。

とは言え、ここ日本において言えばマドンナ、マライア以来の認知度を誇る女性アーティストですし、注目される作品となったのは無理もありませんね。

そんなレディー・ガガに関してですが、これまでのパブリック・イメージを打ち破り、ナチュラルな女性を見事に演じきっています。
冴えない生活を送り、場末のバーで唄っていた一人の女性がスターダムにのしあがっていく様なんかはレディー・ガガの半生とも重なり、ある種彼女の自伝的側面も強い作品でした。
いや~、それにしてもレディー・ガガという完成されたアーティストをここまで丸裸にさせるとはスゴい!
奇抜な衣装を身にまとい派手なステージを繰り広げるあのガガ様ですよ。
もっとも別の意味でも裸にさせてるんですけどね。
ま、とりあえずそれは置いといて(笑)

一方の男性・ジャクソンを演じたブラッドリー・クーパー
世界的なカントリー・ロックシンガーである彼。
冒頭から彼の視点から見た客席更に歌唱シーンが入り、作品の性質こそ違いますが、『ボヘミアン・ラプソディ』のそれに通じるものかあり、ワクワクさせてくれます。
そして彼が見いだすのがレディー・ガガ演じるアリーなのですが、ここまではプロデューサーとシンガーの関係性が構築され、そして二人は恋仲へと発展させます。
どんどんスターダムになっていくアリー、その一方で酒により堕落していくジャクソン。
この二人のバランスが何と言っても本作の肝と言えるでしょう。
とりわけこの二人の印象的なシーンと言えばアリーの晴れの舞台を泥酔したジャクソンが台無しにするところですよね。
二人の対比を残酷にも浮かび上がらせるシーンとして、この映画を見た人ならば誰しもが衝撃を受ける場面だと思います。

さて、この映画なんですが、やや退屈に思えるシーンが少々…いや、多々あります。
2018年の音楽映画と対比してみましょう。
グレイテスト・ショーマン』、『リメンバー・ミー』、『ボヘミアン・ラプソディ』。
いずれも音楽シーンはもちろん、それ以外のシーンでもテンポも良かったですし、飽きさせない作りや演出はそこかしこにありましたよね。
ところがこの『アリー/スター誕生』。
容赦なく退屈にさせてくれる。
それも言っておきます。
敢えて意図的にです。
でもそれはブラッドリー・クーパーが監督として未熟だからという事ではなく、ブラッドリー・クーパークリント・イーストウッドの影響を多分に受けているからというところに尽きるんですよね。
元々、ブラッドリー・クーパー
イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』にも出ていますし、本作だって前述の様に当初はイーストウッドがメガホンを取る予定だったのです。
その流れを汲むにあたってやはりイーストウッドイズムが継承されるわけですね。
ひとつの物語を実在するドキュメンタリーの様に撮る手法。
色使いと言い、手持ちカメラのぶれ、アリーとジャクソンの日常シーンにおけるリアリティズム。 
映画通ほど唸る作品なのでしょうが、総じて言えば好き嫌いがはっきり別れる作品でしょう。

それからこの作品において特徴的なのが、あまり第三者の目線を入れず、アリーとジャクソン二人の世界を中心に展開されている点。
例えば前述の晴れ舞台での大失態なんて第三者から徹底的に叩かれる視点が入ってもおかしくないでしょう。
しかし、敢えてそれは入れずせいぜい身近な人から灸を据えられる程度。
この構造って何かに似てるなと思ったら『ラ・ラ・ランド』なんかはそうでしたね。 
二人の視点から描かれる、だからこそあのエンディングが映える。
本作においてもまさに同じ事が言えるのですが、ラストはめちゃくちゃ際立って素晴らしいです!
それはこの二人のストーリーだからこそというのを感じられるからです。
ここから先は劇場でご覧頂くとしましょう。

それから音楽のシーンについて。
これもよく『ボヘミアン・ラプソディ』と比較されるので気の毒でもあるのですが、物足りないなんて声も聞きます。
理由は簡単。
ボヘミアン・ラプソディ』の場合、ラスト20分のライブエイドのシーンで全てを持っていくかの様なカタルシスを生み出しているし、そもそもあれがあるからこそ多くのリピーターを生み出しているわけじゃないですか。
対してこの『アリー/スター誕生』の場合、ビターなストーリーの中に寄り添う様に曲を配置する。
それも決して派手な曲ではないが、しかし確かに心にじわじわと沁みてくる様な日本の演歌に近い楽曲なんですね。
なので比べる対象が違うし、そもそも同じ土俵の上で競う相手ではないんですよ。
ボヘミアン・ラプソディ』には『ボヘミアン・ラプソディ』の『アリー』には『アリー』の良さがあるというべきなのでしょうが、如何せん公開のタイミングがタイミングなだけにね…。

とりあえず『ボヘミアン・ラプソディ』の事は一回頭から切り離してピュアな気持ちで見る事をおすすめします!