きんこんのシネマ放談

映画をこよなく愛するきんこんが鑑賞した映画をズラズラっと紹介していく映画ブログ

サバイバルファミリー

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私達が当たり前のように使っている電気・ガス・水道。そのライフラインがある日突然使えなくなったらあなたならどうしますか?

ウォーターボーイズ』や『スウィングガールズ』、『ハッピーフライト』等のヒット作を生み続けてきた矢口史靖監督。
男子シンクロや航空業界はたまた林業とこれまで矢口監督が作ってきた作品は実在しているが、なかなか我々が知る事の出来ない特殊な世界をコメディタッチの作風を通して私達に見せてくれる様なそんなエンタメ作品を届けてくれました。
今回紹介する『サバイバル・ファミリー』は極限状態に追い込まれた人間の生還劇というこれまでと違う設定と作風でストーリーが展開されていきます。



とかく若手の人気俳優を主人公にキャスティングする昨今の日本映画界において中年のオッサンを主人公に置くなかなか愛すべき作品でもありますが、これまでの矢口作品を知る人であればこの作品の異質性にはすぐに気付く事でしょうね。
コメディではなくかなりシリアスな内容ですからね。
正直私も事前に見ていた予告編のイメージが強すぎてかなりとまどいましたから。

しかし、そんな事はどうでも良いのです。
この『サバイバル・ファミリー』という作品は2017年に公開された作品中でもかなり特異性を持ち、見る人へ投げかけるメッセージ性も含めて今の時代にこそ見るべき宿命を持った作品でもあると思います。

鈴木家は父(小日向文世)、母(深津絵里)、兄(泉澤祐希)、妹(葵わかな)という東京で暮らすどこにでもいる普通の家族。
大学生の息子はヘッドフォンで音楽を聴き、PCで大学の課題に取り組み、女子高生の娘は四六時中友達とのラインのやり取りをし、いかなる時でもスマホを手放さない女の子。
つけまつげとスマホが彼女の狭い世界を象徴している様なザ・東京のJKです。
しかし、彼らが寝静まり夜が明けると一転。
日常生活崩壊のはじまりです。
目覚まし時計が鳴らずに寝坊する父親
すると電気が一切使えずテレビも携帯ももちろん使用する事が出来ません。
それでも彼らは日常のルーティンを今日も歩まねばならない。
会社に学校にと向かうべく一歩外へ出ればマンションの住民で大混雑。
どうやらエレベーターが使用出来ない様です。
階段を下り、マンションを出るとそこにはいつもと違う光景が。車もバスも動かない。
まさに日常に立ちはだかる未曾有の緊急事態の始まりだったのです。
当初はまだそこまで緊張感がありません。
「そのうち、電気も再開するだろう」
という何の根拠もない希望的観測で日々が過ぎていきますが、数日も経過すると流石に直面してる現実からの脱却をすべく動き始めます。
鈴木家は妻の実家のある鹿児島へ避難するという結論に至ります。
東京生活に染まる女子高生の娘は当初は鹿児島の人が聞いたら怒りそうなまた母親の故郷をよくまぁそこまで言えるもんだと思わせる拒絶感を見せます。
しかし、流石に現況を打開すべく父親の意見に従います。
では、鹿児島までどうやって?
何と羽田まで自転車で行き、飛行機で行くと言います。
「この状況で飛行機飛ぶのかよ?」というこちらの予測通り案の定飛行機は運行しません。
そこからは東海道をひたすら西に東京→鹿児島自転車の旅というバラエティ番組さながらのサバイバル道中が始まるのです。

ここまでの流れを通して感じたのが停電発生からの
心理的描写や徐々に荒廃していく街や人間の捉え方が実にうまくあらわれていると思います。
また、海外であれば起こりうる暴動等の混乱はなく至って日本的。
ペットボトルの水が高騰する、飛行機の運行不可を告げる警官と衝突するという程度で『北斗の拳』さながらの無法地帯と化す…なんて事はなく緊張感溢れる中にも良心的で道徳感ある描写であったと思います。

小日向さん演じるお父さんがまた特徴的で一家の大黒柱を気取りながらもその実臆病者で父親としての器の大きさに欠けるある種愛すべき日本の父親像を抽出しています。(作風は違うけど『家族はつらいよ』の橋爪さんに近いかも?)
そんなお父さんですが、「せめて子供達の分だけでも」と食糧を乞う為土下座をするシーンは追い込まれる中で取り戻していく父性を物語る上では非常に効果的なシーンだったと思います。

また、都会と地方を対比させながらも環境や人間性のギャップを反映させていく構成は良かったです。
車、電車、人の流れといった都会の生活音が機能停止によって初めてそこに生まれてくる不気味な静寂。(音楽を一切使わない演出がよりその気味悪い空間を作り上げていました。)
一方、元から静かでのんびりとした田舎では人間も空気もゆったりとしています。
大地康雄演じる豚を飼育する農家のおじさんが醸し出す雰囲気は田舎の「らしさ」をより強調したものでした。
東京でセカセカ生きてきた鈴木一家ナチュラルな人間味を取り戻していく過程とも絶妙にマッチしてました。
この農家のおじさんに限らず地方を描写する光景は実に綺麗に表れ、荒廃した人間の本質的なものを浄化してくれるかの様な機能を果たします。
例えば山口県を走るSLであったり鹿児島の雄大な自然であったり。
人間的にたくましくなっていく鈴木家の人々とそれらの風景が重なりあう事でこの映画の持つテーマ「すべてがOFFになると人間はON になる」の意義を初めて感じる事が出来ます。
日常生活を取り戻した鈴木家の人々。
どこにでもいるごくごく普通の家族。
しかし、彼らが乗り越えてきた生と死をさまよう壮絶な体験が彼らの家族としての結び付きを強くさせた事でしょう。
この映画はとある家族の生還劇として語られるべき名作だと思います。


ところで…ブックオフ撮影に全面協力だったなぁ。どうでもいいけど店から持ち出した地図、ちゃんとお金払ったのか?(詳しくは本編で)